新大阪うつ病回復センター(オンラインカウンセリング可)

うつ病を経験して良かったと思った(29歳/女性)

うつヌケ精神科医 宮島賢也講演会(新大阪)での体験談発表の原稿より-2019年3月3日

  • 性 別:女性
  • 年 齢:29歳
  • お住まい:兵庫県
  • 職 業:会社員
  • 簡易抑うつ症状尺度(QIDS-J):中程度→70日後「正常」

うつ病のきっかけは母の死から

私がうつ病を発症した直接のきっかけは、5年前の母の死と、そしてそこからくる大きな喪失感だったと思われます。

実家暮らしだった為、それから父と二人の生活になりました。仕事や家事において、母が亡くなる以前と同じ生活をしたくて、ただそれを維持したくて必死でした。特に家事の不行き届きは全て、母がいない事を表しているようで、その現実を受け入れられませんでした。

仕事中に急に悲しくなる

仕事中も急に悲しくなったり、何となく頭がぼーっとしてしまい、考えながら仕事をするという事もできなくなり、集中もできなくなっていました。

それでも仕事などの何かに没頭して、時間が経てばそのうち乗り越えられるものだと周りからも言われ、何となく自分でもそう信じるしかありませんでした。

父との不仲

しかし、それから一年ほど経って父が仕事を退職し、父が家事をするようになった頃から色々な事のバランスが崩れ始め、家の中の状態は私が望むものとはどんどんかけ離れていきました。

父とは幼少の頃からよく遊んでもらい、仲は良かったもののその分ぶつかる事も多く、反抗期に口を利かなくなってから、大人になっても決して関係は良好とは言えませんでした。

私は、母のやっていた事が全て正しく、それ以外は全て間違っているという感覚が強く、父の家事等を含め、やることなすこと全て認められずに、仕事から家に帰ってもずっとストレスを感じていました。

まさかうつ病なんて

母の影響で幼いころから続けていたバレエも、体に力が入らなくなり、集中力が落ちている自分の変化がはっきりと分かることが辛く、次第にレッスンに通う気力がなくなりました。

この頃から自分のだるさは普通ではない、という事は感じていたのですが、母の死の辛さを引きずっているだけだろうという気持ちと、まさかうつ病なんてものは自分とは無縁なものであり、できれば除外して考えたいという思いでした。

中程度のうつ病と診断される

しかし、母の死から時間が経っても思考がハッキリとする感覚は戻らず、これは普通の疲れではないと認めざるを得なくなり、家の近くのメンタルクリニックに行きました。

その時にQIDSといううつ病のレベルテストをした結果、点数的には中程度のうつ病であると診断されました。そこで少し安心してしまったのと、まさか自分がやってしまった、という思いでした。

薬も漢方もきかない

それからクリニックに通院し、薬を飲み始めました。

薬の摂取できる最大量を飲んでも、効果がハッキリと分かる訳ではなく、お医者さんの「飲み続ければ必ず治りますから頑張りましょう」という言葉に、その時はとりあえず自分を預けていました。

それから一年薬を飲みましたがあまり変化を感じられず、友人の紹介で東洋医学の人気のクリニックで針治療や漢方を処方してもらうことになりました。しかしそちらも通院して一年が経っても、あまり効果を感じられずにいました。

さらにパニックを併発

この頃から何度か電車や閉鎖された建物でパニックの症状が出る事がありましたが、なんとなく生活はできていたので、そのままにしていました。次第に物に当たるようになったり、寝ている間もベッドのヘッドボードに頭を押し付けていたらしく、ほとんど眠れた感じはしませんでした。

父との言い合いの喧嘩

相変わらず父とのコミュニケーションも希薄で、必要最低限の連絡事項も伝えるのに時間がかかり、それ以上話すと必ずと言っていいほど言い合いの喧嘩になりました。

誰にも自分の事を話せず、本当の意味で心の休まる場所は無いと感じていました。

仕事に関しては、かつての様に段取りを考える事すらできない自分に嫌気がさしていましたが、もう何も感じない状態でした。

周りにそれを伝える気力もなく、周りも私の異変には全く気付かなかったようで、社長命令のトップダウンで、あまり関係の無いプロジェクトチームに入れられたりもしました。

そのずっと前から完全にキャパオーバーでしたが、もうどうして良いか分かりませんでした。私の部署は私しかいなかった事もあり、そこに穴を空けるのも嫌でした。

パニックが原因で体調が急変し休職へ

しかし一昨年の年末に仕事帰りの電車で、これまでで一番しんどいパニックになったのがきっかけで体調が急変し、仕事に通うのも辛くなってきました。

このままではある日突然家から出られなくなると思い、早めに上司と社長に相談しました。

退職を希望しましたが、社長から、「とりあえず休職にして、落ち着いてから考えたらいいから」と言って頂き、無理に出勤しなくても良いと言われてからは、体調が少し落ち着いてきました。

そこから引継ぎ期間を1か月間設け、這うような気持で出勤し、なんとか休職することができました。

今までの治療に疑問を持つ

処方された漢方を飲んでいたにも関わらず体調が悪化したのを受けて、今までの治療に本格的に疑問を持つようになりました。

会社の帰り調子の良い日に大きな本屋でうつ病の関連書籍を爆買いする事が習慣になり、とにかく次のステップを見つけるのに必死になりました。

YSメソッドに出会う

その本の中でYSメソッドの開発者である佐藤康行先生の「過去を変えればうつは治せる」という本に出合いました。

これまでに読んだ本とはこの本だけは手を付ける次元が違う!と感じ、90日で寛解という即効性にも惹かれました。

宮島先生の著書も読み、ここに行けば何か変わるかもしれない!と思いました。

YS心のクリニックで診察を受ける

休みの日はベッドから出られなかったので、YSこころのクリニックにベッドの中で電話をかけました。

クリニックは東京でしたが、丁度いとこの結婚式が東京であり、それに合わせて父とクリニックに行くことができました。

一通り宮島先生にカウンセリングをして頂き、両親への思いをそれぞれ少し聞いて頂きました。

その時は何も感じていなかったのですが、最後に宮島先生に「本当にお父様を愛されてらっしゃるんですね。」と言われた時に、私は自分では分かっていない核心を突かれたようで、涙をこらえるのに必死でした。

YSメソッドの受講を決意する

受付で案内されたYSメソッドの料金を見て正直驚いてしまい、どうしようかと少し迷いましたが、友人との旅行をキャンセルして自分だけ行けなかった悔しさや、友人が楽しそうに遊んだり、結婚して子供を産んだりしているのを見て、自分の今の状態に焦りを感じてもいました。

ここを受ける以外にはもう今のところ早く治る方法は無さそうだからと、思い切ってYSメソッドの受講を決意しました。

「新大阪うつ病回復センター」で父親と一緒に受講

東京に通院する事は難しいため、新大阪でYSメソッドをされている「新大阪うつ病回復センター」で受講することになりました。

佐藤先生の本の中で、うつ病は必ず親子関係が関係している。という事を知り、今の父との関係があってのことだと私自信納得していましたので、父にYSメソッドのプログラムを一緒に受けてくれるように頼み込みました。

初め父は乗り気ではなかったのですが、私の真剣な説得が響いたのか、受講を決めてくれました。

両親への感謝の気持ちが溢れてきた

受講中はとにかくこんなワークで何が変わるのだろうと思いながら、ただカウンセラーの方の指示通りにしていました。

両親への感謝の気持ちは溢れてきましたが、うつ症状の即時解消を期待していた私は、特に症状が激変した訳でもなく、何も変わっていないような感覚のまま一回目のプログラムを終えました。

カウンセラーの方から「大丈夫ですよ。」という言葉をかけてもらいましたが正直あまり納得していませんでした。

ただ、私はもう本当にYSメソッドに全てを懸けていましたし、スピードは人それぞれだから、もう少し頑張ってみようとなぜか思えていました。

自分の期待した効果でこそなかったものの、無意識に自分の中で薬では得られなかった変化を感じ取り、この方法は効果があるという確信を感じていたのかもしれません。

70日目で寛解

それから何度かカウンセリングやプログラムを受講し、結果的にQIDSの得点ではスタートから70日目で寛解となりました。

それでもまだ体調が劇的に改善したわけではありませんでしたが、次第に父とのコミュニケーションが増え、互いに気持ちよく会話ができることが増えました。

人の目を見て話せるようになり、確実に変わっていった
人の目を見て話せるようになったり、人と関わることに楽しさや喜びが自然とわいてくるようになり、人の役に立ちたいと思う様になりました。

気力や物事に対する興味も少しずつ回復してきて、体を動かしたくなったり、できなくなっていた事が一つずつできるようになってきました。

この日を境に劇的に変わった、というのはありませんが、確実に私は変わっていました。

父とのコミュニケーションが改善した

更に時間が経ち、父とは互いの一日のできごとを報告できるまでにコミュニケーションは改善しました。

今では、私が過去に父に対して抱いていた感情は、全て自分で作り上げた勝手な勘違いだったとさえ思います。

同じ職場に復職

仕事も去年の11月から前と同じ職場に復帰させていただくことができました。

今でちょうど4か月が経ちますが、今の所問題なく働けていますし、何より苦手な人が前ほど苦手ではなくなったと感じています。

自分の限界も分かっているので、もし万が一また辛く感じても対処できる安心感もあります。

自分の将来にわくわくする

最近では自分の将来にわくわくできるようになり、日々、自分の周りの沢山の人が支えてくれていることに本当に感謝できるようになりました。

うつ病を経験して良かったと思った

今では本当にうつ病を経験して良かったと思っています。

おかげで沢山の方に自分が愛されて生きていることをこの身で体感することができました。

これまで見守り、支えて下さったすべての方に本当に感謝しています。
本当にありがとうございました。


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